11 過去との対峙(後編)



その日、家に帰ってからずっと、茜は卓のそばからずっと離れずに一日を過ごした。
卓も、茜の好きなようにさせていた。
それで、少しでも茜の気持ちが和らぐなら…と。
夜も、ベッドに入ってからもずっと、抱きしめていた。
なかなか寝付けない様子の茜に時々小さな声で話しかけながら、髪や背中をなでて…。
茜は卓の腕の中で、目を閉じて、卓の胸に額を押し付けている。
でも、眠っていないのは、触れている部分の体の状態で分かる。
「…茜…?」
不意に、茜が卓に体をすり寄せるようにして、それまでよりももっとぴったりとくっついて来た。
茜の髪から、いつも茜が使っているシャンプーの、甘い花の香りがした。
その香りと、密着した体から伝わる体温が、卓を誘う。
卓は慌ててその考えを振り払った。
”何考えてるんだ、俺は…今の茜はそんな状態じゃないってのに…。”
わきあがる欲望を必死で抑えようとする。
傷ついている今の茜の弱みにつけこむようなことはしたくなかった。
今、自分がこんな風に思っていることが茜に分かったら…。
それだけで茜をまた傷つけるかも知れない。
自分が茜を傷つける存在には、なりたくない。
”…だから、今は…。”そう思っていたのに。
「卓……」
腕の中の茜が、顔を上げて真っ直ぐに卓を見た。
”…うわ…!”
なけなしの理性を総動員してるのに、視線だけであっさりとかき集めた理性を崩してくれる。
見つめられるだけでも体が熱くなるのに、更に茜の言葉が卓に追い討ちをかけた
「お願い…卓…何も考えられないくらいに、して…」
こんな潤んだ瞳で、縋るように言われて、それでもなお我慢出来る男がいるだろうか…?
”…いるわけないだろうが…!”
卓は茜を仰向けにして、その上に覆い被さるようにして、唇をふさいだ。
「…ん…ぅ…ん、ん…っ」
息もつけない程の、激しいキスに、茜は眩暈を起こしそうになる。
でも、それこそが、今の茜の望んでいることだったのかも知れない…。
何も考えられないくらい、卓に抱きしめられて、すべてを忘れてしまいたかった。
たとえそれが、逃避だと言われても。
過去の痛みから、逃れたかった。
卓に出会えて、自分は少しは変われたのだと思いたかった。
だけど実際は…今になって再び自分を苦しめる過去に、また囚われそうになっている…。
過去に囚われる前に、卓に引き戻してほしかった。
「…茜、無理しなくていい。引き返すなら、今のうちだぞ…?」
「…卓…無理なんかしてない…抱いてほしいの」
「あとでやっぱりダメって言っても、やめないぞ…?」
茜のパジャマのボタンをひとつずつ外しながら、茜の耳元で言った。
「言わないよ…」
茜にキスをしながら、パジャマを脱がせた。
いつも、服を脱がせるだけで一苦労なのに、今夜の茜はおとなしく卓に全てを委ねていた。
それどころか、パジャマを脱がせやすいように卓の手の動きに合わせて体を浮かせたり、腕を動かす。
「…!…あ…っ…」
あらわにした胸元に、そっと唇を寄せる。茜の体がびくんと震えた。
首筋に、胸元に卓の唇が何度も触れる。
それだけで、茜の体が熱を持つ…体の芯が、次第に熱く疼きはじめる。
自分の体なのに、自分のものじゃなくなるような錯覚に陥る。
「…っ!」
卓の唇が、茜の胸の頂を捉える。
そのまま、少し強く吸われる。
卓の唇と舌での愛撫に、茜のそこはかたく張りつめて、存在を主張する。
眩暈がしそうなほどの快感に、茜は圧倒されていた…。
”頭の奥が、くらくらする…。”
「は…あっ…卓…っ!」
胸への愛撫を続けながら、卓の手が茜の脇腹の辺りを滑るように移動して、下へとおりていく。
卓の手が、茜のパジャマのズボンの中にゆっくりと入ってくる。
指先が、ショーツごしに茜の一番敏感な部分を探り当てる。
「あぁ…っ!」
茜の体がひときわ大きく跳ね上がる。茜の手が、卓のパジャマの袖をぎゅっと掴んだ。
「茜…」
卓は、いったん茜のそこから指を離し、落ち着かせるようにそっとキスをした。
「ん…ん、っ…」
茜の体から力が抜けた一瞬…。
「あ…っ!?」卓は茜のパジャマを下着と一緒に脱がせた。
そして、卓の指が、茜のその部分に直に触れる。
「…あ、っん!」
ゆっくりと指を動かすたびに、茜は体を震わせて敏感に反応する。
卓は茜の耳たぶに唇を寄せて、痛くないようにそっと甘噛みした。
「は…ぁ…っ!」
そのまま愛撫を続けていると、茜が半分泣きそうな表情で…。
「卓…っ……もう…あたし…っ!」
きれぎれの声で卓に自分の限界が近いことを告げる。
「…どうして欲しい?」
茜の望むことは分かり切ってはいるが、卓はそう訊いてみた。
「わ…かってる、くせに…っあ、ん…!」
「ちゃんと、言ってみて?」
「卓…」戸惑い、恥ずかしがる茜に、卓が耳元で言った。
「今日は、誘って来たのは、茜の方だろ…?」
「それは…はぁ…んっ!」
茜の反論を遮るように卓の指が、茜のすっかり潤って、敏感になっている芽に触れる。
「あっ、やっ……!」
「…イヤだって言っても、やめないって、言ったよな…?」
そう、確認するように言いながら、卓は、茜の中に指を入れていく。
「…っ!」茜の体が、びくびくと痙攣するように震えた。
卓が、茜の中に入れた指を動かし、茜が一番感じる部分を探り当て、
そこを擦るように重点的に攻め立てた。
茜の中が、ひくひくと震え、卓の指を締めつけてくる。
「あっ、ダ、ダメ…!卓、もう、あたし…っ!お、ねがい…卓…!」
「茜」
卓が、一度指の動きを止めて、再度茜を促す。
茜がかたく閉じていた目を開けると、すぐ間近に、卓の優しい眼差しが見えた。
その眼差しに、茜はなぜか泣きたくなった。
”いつだって卓は、あたしのことを一番に思って、考えてくれる…。”
だけど、そんな卓に、自分は何か返せているのだろうか…?
”いつだって、してもらうばかりで、卓が優しいから…あたしはだんだん甘えて弱くなってく…。”
茜の目に、涙が浮かんだ。
「…茜…!?…そんなに…いやだったか…?」
卓が、茜を抱き起こしながら言った。
「ちが…!違うの、卓…」
茜は、自分が今感じたことを正直に告げた。
「馬鹿だな…そんなこと考えていたのか?」
「そんなことって…だって…」
「損得で今までこうして一緒にいた訳じゃないだろ…?俺は俺がしたいようにして来ただけだよ、
だから、茜がそんな風に負い目に感じることなんてないんだ。
それに、茜はいつもなんでも自分一人で抱え込もうとして無理するから、心配なんだ。
…もっと、俺を頼ってほしいくらいだよ」
「…卓」
卓は茜の涙を指先でそっと拭った。そして、そのままキスをした。
何度もキスを交わしながら、卓が茜を再びベッドに横たえた。
そして、自分も、着ていたパジャマを脱ぎ捨てる。
何も身に着けていない状態で、あらためて強く抱きしめあう。
卓は、サイドテーブルの引き出しから避妊具を取り出すと、自分自身に着けた。
そして…もう一度茜にやさしくキスをして、そのまま…。
「…あ…ぁ…んっ!」
茜の唇から、甘い声が漏れた。
圧倒的なほどの激しさと、快感に、理性が吹き飛ぶ。
「…卓…っ…!あ、んんっ…!」
「…茜…」
茜の内奥が、いつにもまして熱く、きつく、卓をとらえて離さない。
気を緩めればすぐにでも達してしまいそうだった。
卓はいったん動きを止め、その波を息をつめてやり過ごした。
「茜…」名前を呼ばれて、茜はそっと目を開けた。
「…卓…?」茜は、卓の動きが止まったことに、少し不安そうな表情を見せた。
卓は、茜の目をしっかりと見つめて、言った。
「愛してるよ」と。
今まで、この言葉を、言った事はなかった。
『好き』だとは何度も言って来たが…。
茜が、目をみはった。再び茜の目に、みるみる内に涙が溢れる。
「…ずる…突然、言うなんて…」
「…今まで、ちゃんと言った事なかったなって思って…」
「…あたしも……愛してる…」
真っ赤になりながら、消え入りそうな声で、でもちゃんと卓に聞こえるように、茜は答えた。
卓は茜を強く抱きしめ、再び動き始めた。
「…あ、あ……卓…っ…!…お願い…離さないで、ね…一人にしないで…!」
「茜…離せって言っても、離さないから、心配するな…」
卓は、茜の腕を掴んで、体を起こし、茜を自分の上に座らせるような体勢を取った。
「…ぁあ…んっ!」
自分の重みで、より奥深くまで突き上げられ、茜は一瞬驚いて腰を引きかけた。
卓は茜の背中と腰に手を当てて、引き戻す。
「あ…ぅ…んっ!卓…!!」
背中に添えていた手を後頭部の辺りへ移動させて引き寄せ、卓は茜にキスをした。
「ん…う、ん…っ!」
何度も角度を変えて繰り返すうちに、キスはどんどん激しく深くなる。
そして、それに呼応するように、卓の動きも、激しくなる。
「ん…あぁ…卓…っ、あたし、もう…!」
茜の言葉と、内奥の蠢きが、限界が近い事をダイレクトに卓に知らせてくる。
そして、卓ももう、限界だった。
「いいよ…俺ももう…」
そう言って、卓はそのまま下から激しく茜を突き上げた。
「んん…っ!…あ…ああぁ…っ!!」
茜の声が高く上ずり、ほぼ同時にきつく卓自身を締め付けてくる。
「…茜…っ!」
卓も、最後に一度、ひときわ激しく茜を突き上げ…自分を解放した…。
汗ばんだ肌をぴたりと密着させて果てたままの体勢で抱き合ったまま、二人は暫く動かなかった。
…動けなかった、と、言う方が正しいのかもしれない…。
ふと、肩にかかる重みが、少しだけ強くなった。
「…茜…?」
茜は、卓の肩にもたれて、意識を手放していた。
激しい抱擁のせいで、茜は上り詰めたあと、気を失うように眠りに落ちていたのだ…。
卓は、茜の中から自分自身を抜いて、茜をそっと寝かせた。
手早く後始末をして、茜を抱き寄せ、布団を肩までかけてやり、卓もそのまま眠りについた。



三日後…。
卓の会社に、電話が掛かってきた。
「氷室さん、1番にお電話です」
「ありがとう……お電話代わりました、氷室です」
『…あの…日野ですが…』
受話器を持つ卓の手が、一瞬、こわばった。
「あの…先日の件でしたら、お話した通り…」
『いえ…違うんです』
「…え?」
『主人と相談して…大阪に戻る事にしましたので、ご報告をと、思いまして…』
「……」
『明後日の午後一番の新幹線で、大阪に帰ります。…身勝手な申し出をしてしまって…
あの子には…茜には、本当に…本当に申し訳ないことをしたと、思っています…。
何度謝ったとしても、償えない事を、私はあの子にしてしまいました…。
今更、こんなムシのいい話をしたって、あの子が許してくれる筈はないのに…。
今野さんご夫婦にも、氷室さんにも、本当にご迷惑をお掛けしました。…申し訳ありません』
「…あ…!あの…茜に伝え…」
『…いいえ、言わないでください。…伝えればあの子を、もっと苦しめてしまうだけでしょうから…。
…もう、会う事はないと思いますが…茜を、あの子を、どうかよろしくお願いします』
「待ってくださ…」
『今更、何を言っても信じてもらえないでしょうが…あの子が産まれた時、本当に嬉しかった。
…あの子の父親も、私も女の子がとても欲しかったんです。
私が情けない母親だったばかりに、茜を守り育てる事はできなかったけれど…
あの子の事は、一日も忘れた事はありませんでした。
私の罪が明らかになるのが怖くて、真実を明らかにするのに16年も、掛かってしまったけれど…。
茜を産んだことは、後悔していません。
…もしも、許されるなら…ひとつだけ、あの子に伝えてください。
あなたは、幸せになってねと。…私のようにならないでと。…それだけ伝えてください。
……お仕事中、申し訳ありませんでした。…失礼します』最後の声は、涙声だった…。
電話はそこで切れた。
ツー・ツー…と言う音が、むなしく卓の耳に響いていた…。



卓は、ドアの前で、一つ、深呼吸をした。そして、ドアを開けた。
「…ただいま」
「おかえりなさい。……卓…?どうしたの…?」
平常心を装っても、茜は卓の様子がおかしい事をすぐに察知した。
…声のトーンからして、いつもとは違っていた…。
卓は、茜にリビングに来るように促した。
「…あの人、また…?」
話さなくても、卓の様子で、茜はすぐに内容が自分の母親に関わる事だと、察した。
卓は、昼間の電話の内容を、全部茜に話した。
彼女は伝えないでと言ったが、そう言うわけには行かなかった。
当事者にカヤの外にいろと、言える訳がない。言っていい筈がない。
全てを伝えた上で、茜の選択を待ち、茜が出した結論なら、自分も支持する。
だが、最初から隠しておく事はできなかった…。
「……卓…ごめん、少し、一人にさせてくれる…?」
「…分かった」
その後、卓と茜は、食事だけ一緒にとって、あとは別々に過ごした。

翌朝、卓は目を覚まして、ベッドに茜の姿がない事を真っ先に確認した。
明け方近くまでは、起きていたのだが、つい、眠ってしまった…。
”茜…結局一晩中眠らなかったのか…。”
卓は、ベッドから抜け出して、リビングへの扉を開けた。
茜は、ソファの上で、体を丸めて、毛布に包まってうたた寝をしていた。
その姿は、とても小さくて、頼りなげだった。
卓は、茜を毛布ごとそっと抱き上げた。
「…卓…」
「悪い、起こしたか」
「…ううん、ごめん、寝ちゃってた…」
「あんな格好じゃ、ちゃんと眠れなかっただろ?」
卓は、茜をベッドに下ろした。
「…ん…」
「…まだ朝早いから、ちゃんと寝ろよ」
「…うん……卓」
「…ん?」
「あたし…やっぱり、あの人の事、簡単には許せないと…思う」
「…うん」
それはそうだろうと、卓も思う。
「…どうしようもなかったんだって、話を聞いて思った…でも、やっぱり、ダメ…!
許したいと思っても、ダメなの…」
卓は、茜を腕の中に抱き寄せた。
「…茜がそう決めたのなら…」
茜を強く抱きしめながら、卓が言ったのはそれだけだった。
…他に何が言えるだろう。
自分が説得して簡単に許せるものなら、今、茜はこんなにも悩んではいないだろう。
だから、それ以上は何も言えなかった。
「……うん」
茜も、それ以上は何も言わなかった。
卓に、これ以上寄りかかる訳には行かない。
自分がつらいと言えば、卓は無理してでも茜を支えようとする。
それに、これは自分で結論を出さなくてはいけない事だ。
そして、いくら考えてみても、自分は…。
彼女を…静を許す事は出来そうになかった…。
頭では分かったつもりでも、感情は拒絶してしまう…。
どうしても、『自分を捨てた』と言う事に拘泥してしまう。
その彼女と、今さら一緒に暮らす気には、どうしてもなれない…。
「…卓」
「ん?」
「ありがとう」
「…どうしたんだよ、急に…」
「卓がいてくれなかったらあたし…多分、どうしていいか分からなかった。
いつもいつも、卓に頼ってばかりで…ごめんね…」
「茜…この間も言ったろ?もっと頼って欲しいくらいだって。
だから、おまえが謝る必要なんて何ひとつないんだ…だから、もう謝るな。…いいな?」
「……ん…」
それ以後、2人の間でその話が交わされることはなかった。
…双方、胸の内に何か釈然としないものを残しながらも…。



その日…。茜は朝から黙々と家じゅうの掃除をしていた。
卓は邪魔にならないように時々場所を移動しながら、新聞を読む振りをして
茜の動きを黙って目で追っていた。
ガシャン!!キッチンの方で、ガラスの割れる音がした。
「茜!?」
卓はリビングとキッチンの境目まで様子を見に行った。
「…あ、卓、危ないから来ちゃだめ…!」
コップが1個、床で粉々に割れていた。
床に散乱している破片を拾おうとした茜を、卓が制した。
「俺がやるよ、掃除機持って来ておいてくれるか?」
「…う、うん…。」
片づけが終わった後、卓は2人分のコーヒーを入れてリビングに戻って来た。
「ちょっと休憩しろよ、朝からずっと、動きっぱなしじゃないか」
「……」
茜は卓から渡されたコーヒーを、ゆっくりとひと口飲んだ。
「…それ飲んだら、出かけるぞ」
「出かけるって…どこに…」
「…それは、茜が一番よく分かってるだろ?」
茜は咄嗟に立ち上がった。持っていたコーヒーをこぼしそうになる。
卓は、茜の手からマグカップを取り上げた。
「…卓、何言ってるの…?あたし行かないからね…!」
「茜、朝からずっと、掃除しながら時計ばかり気にしてたな。正直、気になってるんだろ?」
「ちっ…違う!そんな…!」
「…茜!!」
「…!!」卓の大声に、茜は口を噤んだ
「許せだなんて言わない、だけど…もう、会えるのはこれが最後かもしれないんだ。
…だったら、言いたいこと言って、すっきりした方がいいだろ」
卓は、寝室のクロゼットから、自分と茜のジャケットを取り出した。
そして、茜の頭からすっぽりとかぶせる。
「…行こう。…茜!」
茜はジャケットを羽織りながら、玄関に向かった卓の後を追った。



”くそっ…!こんな時に、電車が人身事故で止まるなんて…!!”
卓はクロノグラフをちらりと見た。
”間に合うか…!?” 午後一番の新大阪行きの新幹線の発車まで、あと10分を切っている。
「…茜、こっちだ!」
卓は茜の手を掴んで走った。
「…卓…待…って…も、走れな…!」
「…もう少しだから…!」エスカレーターまで全速力で走り、上る間に茜を少し休ませる。
エスカレーターを上りきって、新幹線乗り換え口で時刻表を確認する。
「…間に合った…」
入場券を買って、改札を通る。
「…茜」
「…?」茜は卓の示す方を見た。
”…!”窓越しに、静の姿が見えた。
「…行こう」
静も、2人に気付いたようだった。慌てて席を立ち、乗降口に向かおうとした。
「…見送りに…来てくれたの…?」
「………」
茜は無言で俯いた。
いざ、本人の目の前に立つと、茜は何を言っていいか分からなくなった。
言いたいことは、たくさんあった筈なのに…。

その時、間もなく発車することをを告げるアナウンスが流れた。
「…!!」茜ははっと顔を上げた。
その時、自分を見ていた静と、目が合った。
「…茜…体に、気をつけてね…元気で。
…氷室さん…この子のこと…茜を、よろしくお願いいたします」
静は、卓に向かって、深々と頭を下げた。
「…はい」卓も、それ以外なんと言っていいかわからず、そう答えた。
発車のアナウンスがもう一度流れた。
静は、もう一度2人に頭を下げ、車内に乗り込んだ。
「茜…幸せになってね。……育ててあげられなくて、ごめんなさい…!」
「…お…かあさん…!」
茜の言葉に、静が目を瞠る。彼女の目が見る間に潤んだ。
「今はまだちょっと、気持ちがまとまらないけれど…いつか…落ち着いたら、
手紙書いても、いいですか?」
「…茜…ありがとう…待ってる」
だが、そこでドアが無情にも閉まった。
「お母さん…!」
動き出す新幹線を追いながら、茜は大きな声で言った。
「…ひどいこと言って…ごめんなさい…!いつか絶対…っ…!手紙…書くから!!」
辛うじて聞き取れたらしい静が、何度も頷いているのが見えた。
新幹線は、徐々に速度を上げて、やがて、見えなくなった…。
ついこの前まで、絶対許せないと思っていた存在だった筈なのに…。
静の顔を…目を見たら…。
『育ててあげられなくてごめんなさい』
その言葉を聞いた瞬間、茜の中で、何かが氷解したような気が、した…。
今すぐには無理だけど、きっと…きっといつか…。
茜の頭に、ぽん、と卓の手が触れた。
「…茜、よくがんばったな」
そのまま優しく頭を撫でられた。
「ゆ、揺らさないで…目から水が零れちゃうでしょ…」
茜の言葉に、卓がちょっと笑った。
「…ほら、泣きやまないと目ぇ腫れるぞ」
「…うん」

ハンカチで涙を拭いて、茜は卓が差し出した手に、自分の手を預けた。
「帰ろう」
「…うん」
茜は、まだちょっと潤んだ目で、それでも、卓に向かって笑いかけた。
”もう、大丈夫だな…”卓は茜を見て、そう確信した。
まだ、わだかまりが解けるまでには時間がかかるだろうけれど、それでも、いつかきっと…。
「よし、帰っていいことするか!」
「…卓…いいことって…何…?」
「さてね…さー帰ろう、早く帰ろう」
「ちょっと待ってー!いったい何考えてるのー!?」
「いいから、いいから」
「…良くないーっ!」
「置いてくぞー?」
「…いやー!」



…どんな時だって、あなたのいる場所が、私の帰る場所。

We will come home!


【We will come home. 第2部 The end. 】


第2部 あとがき

「We will come home.」は、ここで第2部完結とさせて頂こうと思います。
第3部は、ちょっとお休みをいただいた後で書こうと思います。

この第11話前・中・後編三部作は…もう超難産でした…(泣)
何度書きかけてボツったことか…。
その間に私もリアルで産みの苦しみを…(笑)
何はともあれ無事完結させられてほっとしています。

第3部は、いつ始まるかは未定ですが、なるべく早いうちに
また2人のらぶらぶっぷりをお見せできれば…と、考えています。
その間に別の話を書きたいな…と、企んでみたり…。
それでは、また、近いうちにお会いしましょう。


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