1 スタートライン



「茜、それ、重いだろ?俺が運ぶよ。」
「平気だよ、このくらい。」
「そうか?」
「うん、大丈夫。」
と、言った途端、よろけそうになって、ドアに箱をぶつけた。
「…あ痛っ!」
「だから言ったのに…。」
卓は笑いながらあたしの手からダンボール箱を引き取り、軽々と持って室内に運び込む。
「茜、これこっちの部屋でいいのか?」
「あ、うん、お願い。」
今日は、あたしたちの引っ越しの日。
今日から、卓とふたりで、一緒に暮らすことになったんだ。
いわばはじまりの日。スタートラインにようやく立てたって感じかな。
一日も早く、こうして卓と暮らせる日が来るのを、あたしは指折り数えて待っていた。
それを支えにしていたから、今までの日々を、過ごして来れた…。
「…茜?どした?」卓がひょいとあたしの顔を覗き込む。
「ううん、何でもない。…ごめん、早く荷物運ばなきゃね。」
「そうだな、早く片付けるぞ。」

荷ほどきを終え、隣近所の住人への挨拶を終え、大家さんにも挨拶をして、
ようやく落ち着いたのは、夜になってからだった…。
「はー…終わったねぇ。」
「おー…。疲れただろ?晩メシ、どっか食いに行こうぜ。」
「え?でも、近くにスーパーあるから、私、何か買い物して来て作ろうか?」
「今日はいいよ、茜も疲れてるだろうし、引っ越し祝いって事で。」
本当は、私の作った料理、食べてもらいたかったけど…でも、いいか…。
明日から、機会はいくらでもあるんだもんね。
「何かリクエストあるか?」
「…うーん…あ、お蕎麦食べたい。」
「蕎麦ぁ?あのさ、もっとこう何か豪華な…。」
「ううん、お蕎麦がいい!だって、引っ越しにはお蕎麦がつきものでしょ?」
「あれはご近所に配るのが…ま、いいか。よし、蕎麦屋探すぞ。」
「やった、お蕎麦お蕎麦ー。」
引っ越し作業で汚れた服を着替え、戸締りをして、部屋を後にした。



「結構うまかったな、あの蕎麦屋。」
「うん、美味しかった。また行こうね。
…あ、コンビニある、ちょっと寄ってっていい?」
「何買うの?」
「ハブラシ。」
「何、おまえ持ってこなかったの?」
「だって、新しい生活始める時って、新しいの使いたくならない?」
「…そんなもんかな?」
「そんなもんなの。あ、卓のも新しくしようよ。あと、歯磨き粉も。」
「えー、俺はいいよ。今までのまだ使えるし、歯磨き粉もまだあるよ。」
「いいの!買うの!」
”分かってないなぁ…。”新しいのを使いたいってのも、理由の一つではあるけど…。
本当は…もうひとつ…。
「…あ!」急に卓が大声を上げた。
「…びっくりした、何、急に大声出して。」
「…分かった、茜、あれだろ、あれ?
1つのコップに、色違いのハブラシが2本立てかけてある…ってやりたいんだろ。」
…バレた。まさにその通り。
図星をつかれたあたしは黙り込む。きっと卓は笑ってバカにする、って思った。
分かってるよ、自分でもあきれるくらい、少女趣味だって思うもん…。
でも、卓は笑わなかった。代わりに、あたしの手を引っ張って、コンビニに入ってった。
ハブラシが陳列されている棚の前にあたしを連れてって言った。
「茜、どれにする?」
「え?」
「色、何色にする?俺は緑のにするかな。茜は?」
卓はスティック部分が透明タイプのグリーンのハブラシを手に取った。
即断即決即行動って感じ。卓にはいつも迷いってものがない。
「…じゃ、じゃあ、あたしは…オレンジ。」
「よし、歯磨き粉はこれでいいか?」と、卓があたしに見せたのは、つぶ塩入りの歯磨き粉…。
時々、卓の好みは渋いと言うか、オジサンっぽいと言うか…判断に困ることがある。
よく分からない。演歌好きだし、時代劇好きだし…。
それに、時々言うことが老成してると言うか、達観してると言うか…。
4つくらいの年の差でも、ジェネレーションギャップって、やっぱりあるのかな…?
「やだ、ダメ。卓、オジサンくさいー。これにしようよ。」
あたしが卓に見せたのは、3色ストライプの歯磨き粉。
「オジサンとは何だよ、オジサンとは。茜こそ、それコドモっぽいー。」
あたしの口調をそっくり真似て卓が文句を言う。
「真似するなー!…じゃあ、ジャンケンで決めよう!」
結果は…レジで会計をしてもらって、ハブラシ2本と…
あたしの選んだ3色ストライプの歯磨き粉を入れた袋を受け取ってコンビニを出た。
あたしの勝ち。
卓はまだブツブツ言っている。
「くそー、あそこでグーさえ出さなければ…。」
「…まだ言ってる。次新しいの買う時は、卓の好きなのでいいから。」
「…よし。」

あたしたちは、手をつないで、アパートまでの道を歩いた。
今日から二人で暮らす部屋に帰るために。
部屋に戻って、まずあたしがしたことは…
もちろん、買ってきたばかりのハブラシ2本の包装を取ってコップに立てかけることでした。(笑)


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