2 雨の日にだけ開く喫茶店



英里は案内されるままカウンター席に座った。
店内は、落ち着いた色調の内装でまとめられている。
所々に置かれているランプや、花を飾った花瓶は、アンティークものだろうか。
派手さはなないが、かといって地味過ぎる訳でもなく、内装と上手く調和していた。
初めて入ったお店なのに、心から寛げるような気がした。

彼は英里の前にティーカップを静かに置いた。
「えっ…私、まだ何もオーダーして…。」
「サービスです、お気持ちが優れないようですので。」
ティーカップの中には薄い黄緑色の澄んだ液体が入っていた。
英里はカップを持ち、一口、口に含んだ。爽やかなレモンの香りがした。
鬱々とした気分が少し晴れるような気がした。
「これは、ハーブティーですか?」
「そうです。レモンバーベナと言うハーブです。
胃などの内臓のトラブルや、頭痛、食欲不振に効果が高いと言われています。
他にも高ぶった精神を鎮める効果や、
落ち込んだ時にに元気を与えてくれるとも言われています。」
「…そうなんですか。初めて飲んだんですけど、おいしいです。
…なんだか、私の状態、全て見透かされてしまっているようですね。」
「そんなことありませんよ。ただの勘です。」
「…私、この近くに住んでいるんですけど、ここにこんな素敵なお店があったなんて、
全然知りませんでした。」
「ご存じないのも無理はありません。ここは、雨の日にだけ開く店ですから。」
「…雨の日にだけ?どうしてですか…?」
「この店は、僕の道楽のようなものでして…。雨の日にだけ開いて、お客様は一人だけ。
そう、決めているんですよ。」
”…何だか、変わった人…。”
雨の日が休みと言うのならまだ分からなくもないけれど…。
雨の日にしか営業しない、そして、客は一日に一人だけだなんて、
どう考えてもおかしい。第一、採算が取れない。いくら道楽と言ったって…。



「どうして、雨の日にしかお店、開かないんですか?
それに、お客さんは一人だけってことは、今日は、もう…?」
「…ええ、本日のお客様は貴女だけです。
雨の日しか開かないのは、特には理由はないんですよ。
道楽者の気まぐれ、とでも言った所でしょうか。」
「でも、それじゃあ、採算が取れないんじゃないですか?」
「そうですね。でも、元から採算を取ろうなんて思ってはいませんし…。
お客様は、混雑した喫茶店で時間を気にしながら、
美味しくないコーヒーや紅茶を飲んで、気持ちよくお金を払いたいと思いますか?」
英里は首を横に振った。どうせなら、ここのような落ち着ける場所で、
ゆっくりと出来る方がいいに決まっている。
「ああ、お茶が冷めてしまいましたね、淹れ直しましょう。何がいいですか?」
「…じゃあ、ロイヤルミルクティーを。」

”こんなゆったりした気分になれたの…久し振りかも…。”
来る日も来る日も仕事に追われ、休みの日も家にまで仕事を持ち込む事もあった。
仕事がない日は、疲れ果てて何もする気も起きず、ただ眠るだけの日もあった。
そんな生活を続けるうちに、いつのまにかすっかり、
こういう時間を楽しむゆとりすらなくしてしまっていた…。
”そうまでして得たものは、何かあったんだろうか…。”
「お待たせしました。」
英里の前に、アンティークのカップが静かに置かれた。
温かいミルクティーを一口、ゆっくり飲んだ。
ほんのりとした甘さを感じた。
それを感じた瞬間、英里の心の緊張が緩んだ。
カウンターに、ぽつり、と涙が落ちた。
「…あれ…?やだ、何でだろ…。ごめんなさい、私…。」
「気にしないでください。泣きたい時は素直に泣いた方がいいんですよ。」
優しい言葉に、涙が止まらなかった。
初めて会った人の前で泣くなんて、普段の英里なら、一生の不覚と思ったことだろう。
でも、この不思議な店で、この不思議な、優しい人の前では、
そんなことは気にもならなかった…。
強がりながら、ムキになって仕事をこなしながら、
英里は本当はずっと、こうして泣けるきっかけが欲しかったのかも知れない…。





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