4 Am I necessary for you?
それから2ヵ月後、貴司は衰えた体力を補うリハビリを経て退院の日を迎えた。
少し自宅療養した後、会社への復帰も決まっていた。
身体は何の問題もなく回復していた。
あれだけの怪我から、医師も驚くほどの回復力だった。
ただ…やはり、由菜に関する記憶は、戻らなかった。
でも、由菜は、それでもいいと思っていた。
無理に思い出そうとすることは、貴司には負担になるだけだ。
貴司にそんな負担を負って欲しくはなかった。
貴司が会社に復帰し、表面上はいつもの生活に戻ったかのように
見えたある日…。
由菜は会社の用事で外に出た。
取引先に書類を届けるだけの簡単な使いだった。
ちょうどお昼時にさしかかったので会社に連絡して、食事をしてから帰ることにした。
取引先は、貴司の会社の近くだった。
雰囲気のよさそうな洋食屋さんがあったので、入ってみることにした。
運ばれてきたランチを食べ、水を飲んで一息ついたところで、
後ろの席のOL達の話が聞くつもりはなかったのだが、耳に入って来た。
「ねぇ、営業の佐々木さんの話、聞いた?」
「えー、なになに?」
「あの人、交通事故に遭ってしばらく休んでいたけれど、この間復帰したじゃない?」
”!!貴司のこと…!?”
そっと振り返ってみると、OL達の制服は、貴司の会社のものだった。
「あー、そう言えばそうだよね、佐々木さんがどうかしたの?」
「あの人、付き合ってる人がいたらしいんだけど、今回の事故で、
その彼女に関する記憶だけ、なくしたらしいよ。」
「うっそ、マジ?」
「うん、あたし、この間、田中さんから聞いたんだ。」
「カワイソー、私だったら好きな人が自分の事忘れるなんて耐えられなーい!」
「でもさ、忘れられちゃった彼女は?どうしてるの?」
「…さぁ、そこまでは聞かなかった。」
「でも、彼女のこと忘れたって事は、もしかして今、チャンス?」
「うわ、あんたキチクー!
でも、あんた佐々木さん狙いだったもんねー。この際、告ってみたらー?
忘れたまま思い出せないってコトは、それだけの価値しかなかったってコトでしょ?」
由菜はそれ以上聞いてられなくて、会計を済ませ、逃げるように店を出た…。
店を出た由菜は、泣きそうな気持ちを堪えて、会社に戻ろうと歩き出した。
彼女たちの会話が、ぐるぐると頭の中で反芻される。
『カワイソー、私だったら好きな人が自分の事忘れるなんて、耐えられなーい』
『忘れたまま思い出せないってコトは、それだけの価値しかなかったってコトでしょ?』
”いや…!”振り払いたくても、彼女たちの言葉が頭から離れない。
「…っ!!」
貴司は、自分のことを忘れたかったのだろうか…?
そんなことないと、自分の考えを打ち消したかった。
…でも、一度心に生じた疑問は、打ち消したくても、どんどん膨らんで…。
あの事故の後、貴司の記憶が戻る日だけを信じて、今まで来た。
彼の記憶が戻ることを今まで祈って来た。
それは今も変わらぬ気持ちだ。
でも、今に至って貴司の記憶が戻らないなら…この先も、ずっと…。
永遠に彼の記憶は戻らないのかも知れない。
…もう、彼には、自分は必要ないのかも知れない…。
現に彼は、自分の記憶がなくても、日常生活に何の支障もきたすことはない。
だとしたら、いつまでも、自分が貴司のそばにいる理由はないのでは…。
彼を失いたくないと言う、この気持ちこそが…
貴司にとっての、負担になっているのではないだろうか…?
そこまで考えて、由菜は温度が一気に冷たくなったような錯覚を感じた…。
”貴司には…もう、私は、いらないのかな…。” その時だった。
「あれ…?由菜さん?」貴司だった。
「どうしたんですか?仕事中じゃないんですか?」
「!!…ちょっと社用で、出てきたんです。もう戻る所なので…。」
「あ、ちょっと待って…あの、今夜、空いてますか?」
「え…?」
「もし良かったら、一緒に食事でもどうかって思って。
由菜さんには、入院中、あ、今もだけど、世話になってるし。お礼がしたくて。」
「…ごめんなさい、今夜は用事がありますので…!急いでいるので、失礼します。」
「え!?あの、ちょっと待ってください!」
由菜の態度の冷たさの理由を知らない貴司は、彼女の急な変化に戸惑い、
慌てて由菜の後を追った…。