4 No Control
今まで、美紗緒は幸平に対してワガママのひとつさえ言ったことがなかった。
小さなケンカは数回した。
でも、そんな時でさえ美紗緒は、自分の主張を最後まで通そうとしなかった。
いつも先に謝るのは、美紗緒の方だった。
よく言えば素直…言い方を変えれば、従順すぎる…。
幸平は美紗緒と付き合い始めた頃から、そのことが気になっていた。
美紗緒の本心が見えなかった。
ワガママでも何でもいいから、怒らせてでも、泣かせてでも、挑発してでも
美紗緒の正直な感情を引き出したかった…。
「…何が言いたいの?」美紗緒は、幸平から視線を逸らしながら聞いた。
「…それは、俺の方が聞きたいよ。
いつもおまえ、自分の言いたいこと言おうとしないよな。
でも、言いたいこともろくに言おうとしないで
いつも自分の中に溜め込んで物分りがいいふりするのはもうよせよ。」
「……言いたいことなんて…別に…。」
「…嘘つくな。」
「…そんなに波風立てたいの?…そんなに、言わせたいの…?」
「言えよ、俺に何か不満があるなら、全部吐き出せよ。」
「…こーへいちゃんは…なんで私と付き合ってるの?」
「なんでって…好きだからに決まってるだろ…?」
「お姉ちゃんが死んで、たった1年しか経ってなかったのに
気持ちって、
そんなにすぐに切り替えられるものなの?」
「…ちょっと待てよ、おまえ俺を疑ってたのか?
…ずっと…付き合い始めた頃から?」
「だって、お姉ちゃんが死んだ時、あんなに泣いて、悲しんでたのに…!
1年経って、留学から帰ってきてすぐ、私に付き合ってくれだなんて…。」
”これ以上言っちゃいけない…。”
頭の中でかろうじて残っている冷静な理性が警告する。
でも、長い間ため込み続けて来た感情は、もう止められなかった。
「ずっと、分からないふりして来た…そばにいてくれるなら…
気づかないふりしたままでいようと思った…。だけど、もうダメ…。
こーへいちゃんは、お姉ちゃんが死んじゃって耐えられないから、
お姉ちゃんに少しは似てる私を身代わりにしたんじゃないの…!?」
…バシッ!
その瞬間、美紗緒は、何をされたのか、分からなかった。
頬がじんわりと痺れるように熱くなって、初めて、殴られたことを理解した…。
「…俺は…っ!おまえを美冴の身代わりになんて思ったことは一度もないよ…!」
「…嘘よ!…でなきゃどうして、お姉ちゃんが死んで1年も経たないうちに、
私に付き合ってだなんて無神経なことが言えるの!?」
「無神経って、おまえ…。」
「私、中学の時、ずっとこーへいちゃんに憧れてたよ。
こーへいちゃんのこと、ずっと見てた。
でも、何も言えない内にこーへいちゃんは卒業してしまった。
だから、諦めようって思ってた。でも、諦められなくて…。」
さっきまで晴れていた空が急に翳りだしたかと思うと
ぽつぽつと雨粒が落ちてきた。
「…お姉ちゃんが、付き合ってる人がいるって、こーへいちゃんを連れてきた時は、
びっくりした。…でも、お姉ちゃんなら…って、
こ…これで本当に諦められるって思ったのに…!」
「…美紗緒…。」
「なのに、お姉ちゃんがいなくなって1年で、あんな…!
信じられるわけないじゃない…!!」
降り出した雨は、徐々に強くなってくる。 ふたりの髪や、服を濡らす。
美紗緒の着ている薄い生地のワンピースが濡れて、肌が透けて見える。
幸平は上着代わりに着ていたシャツを脱いで美紗緒に羽織らせると、
美紗緒の手を引っ張ってもと来た道を引き返した。
「痛っ!やだ、離してよ!なんで何も言わないの!?」
「…これ以上濡れて風邪引きたいのか?なら置いてくぞ。」
「…!」
「…どこか雨宿りできる所を探すんだよ。
いつまでも雨の中で言い争うつもりはないからな。」
「はぐらかすつもりなの…?」
「…おまえの言いたいことは分かった。
後でちゃんと全部話すから、今はこれ以上ごちゃごちゃ言うな。」
その声には有無を言わせない響きがあった。
これ以上何か言ったら、幸平がキレそうな気がして、美紗緒は口を噤んだ。
『全部話すから…』
”全部…?何か、私の知らないことがあるんだろうか…?
走って車まで戻り、中に乗り込んで、二人は一息ついた。
幸平はダッシュボードからタオルを取り出して、美紗緒の頭にかぶせた。
「…ちゃんと、髪拭いておけよ。風邪引くから…。」
美紗緒の体が、小刻みに、震えているのが伝わってきた。
「おい、寒いのか?」
返事はなかった。代わりに、小さく頭が横に揺れた。
幸平は、手を伸ばして、美紗緒の髪を拭いた。
「…ちゃんと、拭いとけよ。」
…返事は、なかった…。