2 彼女が変わった理由(わけ)



美紗緒は、帰ってすぐ、母親にお土産を渡すと
疲れたから眠ると言って、自分の部屋に入った。
バッグを床に置いて、ベッドに体を投げ出した。
ふと、棚の上のフォトスタンドに目が留まった。
写真には、今より髪も短く、幼い感じの少し硬い表情の美紗緒と、
美紗緒に良く似た少し大人っぽい感じの優しい笑顔の女性と、
その女性の肩を抱く幸平が写っていた。



美紗緒には、2歳上の姉がいた。
彼女…美冴は、綺麗で優しくて、誰からも好かれていた。
その美冴が、ある日、高校に入ったばかりの美紗緒に
「付き合っている人がいるの。」と、こっそりと打ち明けた。
「嘘!?誰、誰?どんな人?」
美紗緒は美冴があきれてしまうほど彼女を質問ぜめにした。
「今度、美紗緒にも紹介するわね。」
「絶対ね、約束よ、お姉ちゃん。」

その当日、家に訪ねてきた相手を見て、美紗緒は愕然とした。
「美紗緒、こちらが高階幸平くんよ。」
「高階先輩…!?」
「君は…そうか、君は美冴の妹さんだったのか。」
『美冴』と姉を呼び捨てにする幸平の言葉に、
美紗緒は心がずきり、と音を立てて痛くなるような気がした。
「幸平くん、美紗緒のこと知っているの?」
「中学で、先輩と一緒の委員会になったことがあるの。」
美紗緒は、平静を装って、そう答えた。
「あら、そうだったの、私、私立の付属に行ったから、知らなかった。」
「お姉ちゃんは、どこで高階先輩と知り合ったの?」
「私、夏休みにアイスクリームショップでアルバイトしたでしょう?
幸平君もそのお店でアルバイトしていて…。」
美冴の説明も美紗緒の耳には殆ど入っていなかった。
二人の邪魔になっちゃ悪いから、と、表面上はなんでもない振りを装って
自分の部屋に戻った美紗緒は、声を聞かれないようにベッドの中で
声を殺して泣いた。

…姉の恋人は、美紗緒が中学で一緒の委員会になった時から、
密かに憧れていた人だった…。



美冴と幸平が付き合っていることが分かって、
その日から、美紗緒は心穏やかではいられなかった。
中学の頃、幸平の姿を、遠くから見るだけでも、ドキドキした。
委員会で委員長として連絡事項などを伝える幸平の姿を
こっそりと見つめるのが、精一杯だった。
話をするなんて、とてもじゃないけど、出来なかった。
そのくらい、幸平に憧れていたのは事実だった。
でも、自分は思いを伝えることもなく、
幸平が卒業していくのを黙って見ているしか出来なかった。
だけど、美冴は幸平と出会い、きちんと自分の思いを伝え、そして思いは叶った。
気持ちを伝えることすら出来なかった自分に、
二人を責めたり恨んだりする権利は無い。
今はまだ、素直に二人を祝福はできないかも知れないけれど…
いつかきっと…。

ようやく、そう思えるようになった頃、美冴が突然倒れた。
すぐに病院へ運ばれ、幾つもの検査が行われた結果、判明した病名は…。
白血病だった。
病気の進行は早く、唯一の頼みの綱の骨髄移植も、
両親や美紗緒の骨髄は、美冴の骨髄とは型が一致せず
骨髄バンクの提供者待ちに
微かな望みを託すより他なかった。
このまま提供者が現れなければ…もって後3ヶ月。
それが、医師の下した判断だった。
様々な治療が施されたが、ついに骨髄の提供者は現れず…
美冴は還らぬ人となった…。

美冴が亡くなった日のことを、美紗緒はいまでも克明に覚えている。
両親は亡骸に取り縋って泣き崩れ、幸平は病室の外で、声を殺して泣いていた。
そして、自分は……泣きたい筈なのに、涙は一滴も出なかった。
葬儀の間も、美紗緒はただの一度も、泣く事が出来ずにいた。
親戚の者たちが、陰で冷たい子だと、詰っていたのも知っていた。
美紗緒自身、何故泣けないのか、自分で自分が分からなかった。
自分は、本当は心の奥底では、姉がいなくなるのを、望んでいたのだろうか…。
だから、たった一人の姉が亡くなったと言うのに、一滴の涙すら出なかったのか…。



美冴の一周忌が終わった少し後、美紗緒は幸平に呼び出された。
幸平とは美冴が亡くなってから、四十九日の法要で会っただけで、
あとは一度も会っていなかった。
一周忌の法要の時は、幸平は短期留学で海外に行っていた。
多分、美冴のいないこの場所にいるのが、つらかったんだろうと思う…。
疎遠になりつつあった幸平からの突然の電話での
『会って話がしたい。』と言う言葉に、美紗緒は戸惑いながらも承諾し、
待ち合わせの日にちと場所を約束して電話を切った。

久し振りに間近で見た幸平は、
一年前よりも少し痩せ、感じが変わったように思えた。
…幸平に憧れ、姉の恋人になったと知った時、
ショックで一人泣いた美紗緒だったが、
あれから一年以上経った今、こうして幸平と向き合っても、
あの頃のようなつらい気持ちは感じなかった。
幸平は一周忌に出られなかった非礼を詫び、美紗緒は両親からの伝言を伝えた。
そのあとは、互いに近況を報告した。
だが、どことなく話が噛み合わない気がした。
その理由は二人とも互いによく分かっていた。
美冴の事に触れないようにしていたからである。
話題はすぐに尽きてしまい、二人はなんとなく気まずさを残しながら別れた。
もう今後、幸平に会うこともあまりなくなるだろうと、美紗緒は思っていた

…だが、数日後に幸平から再び電話があり、美紗緒はもう一度幸平と会う事にした。
『大事な話があるんだ。』
何かを決意したような幸平の真摯な口調が気になった。
そして、再び会った幸平の申し出に、美紗緒は自分の耳を、
そして幸平の真意を疑った。
『俺と付き合ってくれないか。』と、幸平は美紗緒に言ったのだ…。



美紗緒は、幸平の考えてることが、理解できなかった。
美冴が亡くなって1年…
1年しか経っていないのに、何を考えているのだろう!?と思った。
よりによって、妹である自分に交際を申し込むだなんて…。
これでは、まるで…自分は姉の身代わりではないか…。
断ろうと思った。そこまで自分を惨めにしたくなかった。
…でも、一度は諦め、封印したはずの思いが、美紗緒を誘惑した。
姉の恋人だからと、一度は諦めた人が、手が届かないと思ってた人が、
今、自分の目の前にいる…。
その誘惑に美紗緒は、惨めだと思いながらも…
自分を浅ましいと思いながらも、心が動いた。
そして、彼の告白を受け入れた…。

その日から、美紗緒に変化が起きた。
短かった髪を伸ばしはじめ、生前の美冴の好んで着ていた服に
よく似た感じの服を着るようになった。
薄くメイクをして鏡の中を見ると、
そこにいる自分は、自分であって自分ではなかった。
自分の偽者、姉の偽者…。
どうしたって、美冴にはなれない、そんなことは分かっている。
偽者は本物にはなれない。…どう足掻いたって、かないはしない…。
今の自分は、粗悪なフェイク…。
愚かなことをしていると、自分でも思った。
だけど、偽者でもいいから、愛されたかった。

自分で始めたこととは言え、姉に似せようとすればするほど、
姉の存在の大きさを思い知らされた。
そうして、美紗緒は、ますます姉を憎む。
…分かっている、美冴には何の罪もないことは。
だけど、美冴は死してなお、幸平と美紗緒に影響を及ぼしていた。
幸平の中に強く鮮やかに印象を残し、
美紗緒には乗り越えることの出来ない障壁となって…。
そして、美紗緒は、より姉を憎み、そんな風に考える自分をいっそう嫌いになる…。
自分の心の中の、出口のない迷路に美紗緒は踏み込み、未だ抜け出す術を知らなかった。






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